第29話 ヤマアラシの怒りと焦燥

森の奥深く、夜の静寂が広がる。 月明かりの下、焚き火がぼんやりと赤くゆらめいていた。 薪が弾ける音が、やけに大きく耳に残る。 ルードは火を見つめながら、耳のピアスチェーンを無意識にいじっていた。 焚き火を挟んだ向こうで、エレナシアが紙に何か書きかけては、筆を止める。 また書きかけて――止める。その繰り返し。 (……ミリィと会ってから妙に静かだな) 酒場を出てから、ずっとこうだ。 食事中も黙ったまま。気まずい沈黙だけが続いている。 (さっきから、何か言いたそうだし……) ルードは火を見つめたまま、ちらりと彼女を盗み見る。 俯いたまま、筆先が紙の上で空回りしていた。 やがて――エレナシアが顔を上げ、紙を差し出す。 『ルード』 視線が合う。 エレナシアは真っ直ぐにこちらを見ていた。 次の紙が、ゆっくりと差し出される。 『やっぱり、無理してる?』 「……無理?」 眉をひそめて聞き返す。 『私、迷惑かけてる?』 「なんだよそれ……どういう意味だよ」 わずかに苛立ちが混じる。 だが彼女の筆は止まらない。 『ルード、私といるとなんだか辛そう』 「そんなことねえだろ」 即座に否定するが、エレナシアは小さく首を横に振った。 『……そんなこと、なくない』 紙を見せ、少しの間を置いて――また書く。 『ミリィといるときは……』 ルードの指が固まる。 ピアスのチェーンを触っていた手が、止まった。 「……ミリィといるときが、なんだってんだよ」 エレナシアは顔を伏せたまま、ゆっくりと筆を動かす。 『……楽しそうに見えた』 「……さっきから何が言いたいんだよ」 声が荒くなる。 エレナシアの手は震えながらも筆を止めない。 『私って、やっぱりまだ"荷物"なの?』 その文字を見た瞬間、ルードの息が詰まった。 「……っそんなわけねえだろ」 否定する。 だが彼女の表情は変わらない。静かに次の紙を差し出す。 『じゃあさっき何も言わなかったのはどうして?』 ルードの喉が、張り付いたように動かなくなる。 「……っ」 声が出ない。 ミリィに問われて――何も答えられなかった光景が脳裏に蘇る。 「なんで……なんで、そんなこと聞くんだ」 エレナシアはじっと彼を見て、また筆を走らせる。 『……知りたいから。ルードがどう思ってるのか』 「どう思ってるか……?」 その問いを繰り返すと、彼女は小さく頷いた。 そして――次の文字を書く。 『私より、ミリィといた方が』 「関係ねえだろ、ミリィは」 遮るように言葉を叩きつける。 「あいつはそんなんじゃねえ」 『でも』 エレナシアがまた書きかけた、その瞬間―― 「俺はお前に好きだっていったんだ」 焚き火の音を割る声。 エレナシアの手が止まった。 ルードは立ち上がり、焚き火を回り込んで彼女の前に立つ。 「……なんで、わかんねえんだ」 声が勝手に震える。 エレナシアは顔を上げ、じっと見つめ返す。 筆が走る。 『……好きってどういうこと?好きな花とか、色とかと何が違うの?』 その文字を見た瞬間、胸の奥で何かが弾けた。 「……そんなもん、俺だって上手く言えねえよ」 舌打ちが喉まで出かかり、かろうじて飲み込む。 代わりに、左耳から垂れたピアスのチェーンを指先で引いた。細い金属が張って、耳たぶがわずかに引かれる。 エレナシアは一度だけ視線を落とし、静かに紙へ向き直る。 筆が紙の上を走る音が、小さく響いた。 その筆先が、ほんのわずかに震えている。 『私と契約して』 その文字を見た瞬間、ルードの眉がぴくりと動く。 すぐに次の紙が差し出される。 差し出された手を見て、ルードは一瞬だけ目を細めた。 紙を持つ指先が、強く力を込めすぎて白くなっている。 『そうしたら、荷物じゃなくなる』 「……」 (なんで、そんな話になるんだよ……) 俺がお前をどう思ってるかって話で。 どうして、そこで契約が出てくる。 (契約?……するわけ、ねえだろ) ――したくもない。 「……前も言ったよな? 気にする必要ねえって」 エレナシアは首を強く横に振った。 すぐにまた筆を取る。 『……気にする。どうしてダメなの?』 その文字は乱れてはいない。むしろ、いつもより慎重に書かれたような、丁寧な字だった。 「だから、お前が――」 言いかけて、言葉が詰まる。 だが、エレナシアの手は止まらない。 『私は嫌じゃないって言った』 視線が、真っ直ぐにぶつかった。 そこに羞恥も躊躇も見えない。 その無垢なまなざしが、喉の奥を焼く。 「嫌じゃないとか、そういう話じゃねえ」 すぐに返したはずの声が、わずかに掠れていた。 エレナシアは黙ったまま、また筆を動かす。 『私が強くなればいい』 書き終えたあと、ほんの一瞬だけ視線が揺れた。 ルードの指先が、ぎり、と音を立てそうなほど強く握られる。 『契約したら、戦える。そしたら、こんな風に追われることだってなくなる』 「……なんなんだよ、それ」 吐き出すように言う。 「それで、契約かよ」 エレナシアは黙って、ルードを見つめている。 逃げることも、目を逸らすこともなく。 『ルードは嫌なの?』 問いかけるその目には、責める色も、試す色もない。 ただ答えを待っている。 それが一番、残酷だった。 言葉が出ない。 喉の奥が焼けつくようで、うまく息が通らない。 「……俺は」 やっと、声が出る。 「俺は嫌だ」 少し間を置いて、言葉を続けた。 「役に立つとか、戦えるとか、そんな理由で……」 爪が掌に食い込み、鈍い痛みが広がる。 一度、視線を落とす。 それでも逃げきれず、ゆっくりと顔を上げた。 「俺は……お前が好きなんだ。……好きだから、簡単にそんなこと出来ねえんだよ」 一歩、距離を詰める。 「お前は俺をどう思って、そんなこと言ってんだ」 隣の木に手を叩きつける。 ドン、と鈍い音が森に響いた。 エレナシアの体が幹に押さえ込まれる形になる。 エレナシアは驚いたように目を見開いたが――拒まない。 ただ、大きな瞳で彼を映している。 顎を掬い上げ、唇が触れる寸前まで迫る。 その瞳に映る自分を見て、息を呑んだ。 「……なんで拒まねえんだ……それを、どう受け止めろってんだよ」 ルードの喉が震える。 「俺の気持ちなんか——」 歯を食いしばる。でも止めきれない。 「……わかんねえんだろ、お前には」 森が静まり返る。 エレナシアが何かを書こうとして、インクが紙に滲む。 でも、文字にならない。 顔を上げたエレナシアの瞳は潤んでいる――ように見えた。 いや、焚き火の光のせいかもしれない。 唇がわずかに結ばれる。 ルードは顔を逸らし、木から手を離す。 一歩、二歩と後ずさる。 エレナシアは立ち尽くしたまま、何も書かず、ただ彼を見ていた。 その視線が――痛い。 「……」 ルードは踵を返し、森の奥へ歩き出す。 「ちょっと頭冷やしてくる」 背中越しに、ぶっきらぼうにそう言った。 返事はない。 焚き火の音だけが、遠くでパチパチと鳴っていた。 ルードは振り返らずに、そのまま闇に消えていった。 ◇ 森を抜けた先に、小さな湖があった。 夜の水面は鏡みたいに静かで、月の光が細く揺れている。 ルードは岸まで歩くと、そこでようやく足を止めた。 肺の奥に溜まっていた息を、ゆっくり吐き出す。 冷たい空気が喉を刺した。 湖面を覗き込むと、月明かりに照らされた自分の顔が浮かぶ。 目つきの悪い、どうしようもない顔だ。 (なんであんなこと言っちまったんだ) 頭の中に、さっきの顔が浮かぶ。 泣きそうで――泣かなかった顔。 (あんな顔させるつもりじゃなかった) 拳を握る。 あんなこと言うつもりじゃなかった。 責めるつもりなんて、なかった。 ただ―― (……止まらなかった) 言葉が、勝手に出た。 湖面に映る自分が、ひどく嫌な顔をしている。 契約したくないなんて、全部自分の都合だ。 あいつが望んでるなら、受け入れてやるべきじゃないのか。 俺に迷惑をかけたくないから、あんなこと言いだしたんだ。 分かってる。 分かってるのに。 契約してしまえば、エレナシアは俺から離れられなくなる。 逃げられない。 ずっと、そばにいられる。 そんな考えが浮かんだ瞬間、ルードは顔をしかめた。 水面に映る自分が、歪んだ笑いを浮かべている気がした。 「……最低だろ」 吐き捨てるように言う。 金のために攫った女だ。 それなのに、勝手に好きになって。 そのくせ―― 自分の気持ちを押し付けるようなことを言って、傷つけた。 拳をほどき、湖面をもう一度見る。 月の光が揺れて、顔が歪む。 (わかんねえよ……) 両手で顔を覆う。 (どうしたらいいんだ) 今、エレナシアの顔をまともに見られる気がしなかった。 ――だが。 焚き火のそばに、あいつは一人だ。 (……泣いてたり、しねえよな) ルードは踵を返し、森の中へ歩き出した。 ◇ 森を抜け、焚き火の明かりが見えてくる。 火はまだ生きていた。 赤い炭が、静かに息をしている。 だが―― 「……?」 エレナシアの姿がない。 ルードは足を止める。 さっきまで、ここにいたはずだ。 周囲を見渡す。 森は静まり返っている。 風もない。 焚き火の薪が、ぱち、と小さく弾けた。 (……水でも汲みに行ったか?) ルードは焚き火のそばまで歩き、立ち止まる。 「……」 視線が落ちる。 地面に、紙が落ちていた。 その横に、筆。 インクが滲んで、紙の端を黒く染めている。 ルードの眉がわずかに寄る。 いつも大事そうに持ち歩いてたのに。 落としたままなんてあいつらしくない。 しゃがみ込み、拾い上げる。 「……おい」 小さく声をかける。返事はない。 森は、何も返さない。 ルードは立ち上がる。 焚き火の周りを一周する。 いない。 少し離れた木陰も、岩の裏も。 いない。 (……どこ行った) 胸の奥が、わずかにざわつく。 さっきの顔が浮かぶ。 (……俺が) さっきの言葉が、頭の中で反芻される。 "わかんねえんだろ、お前には" 拳がわずかに握られる。 (俺が、あんなこと言ったから) 俺から離れたかったのかもしれない。 森のどこかで、泣いているのかもしれない。 ルードは息を吐く。 「……エレナシア」 少しだけ声を張る。 それでも返事はない。 風も、葉も、動かない。 沈黙だけが落ちてくる。 胸騒ぎが、少し強くなる。 ルードの視線が、焚き火の周囲をもう一度なぞる。 荷物は全部ある。 エレナシアの荷物も。 そこに置いたまま。 ルードの思考が、そこで止まる。 (……自分の意思で離れたわけじゃねえ) じゃあ、どこへ。 森を見渡す。 暗い。静かすぎる。 その瞬間、別の可能性が浮かぶ。 胸の奥が、冷たく落ちる。 (……まさか) ルードの顔から、血の気が引く。 (誰かに、連れ去られた……?) 次の瞬間、体が動いていた。 ◇ 闇を裂くように、ルードは駆けた。 「クソが……ッ!」 足元の枯れ枝を踏み砕く音が響く。 だが、それ以外に何の音もしない。 「……っ、どこだ……」 焚き火の光が遠ざかる。 森の中に踏み込むが――何の気配もない。 息を荒げながら、必死に周囲を見回す。 (何か手がかりは……? 争った形跡は……?) だが、踏みしめた土は乱れておらず、何者かと揉み合った跡もない。 血の匂いすらない。 ――まるで、最初からそこにいなかったかのように、静かだった。 「……ッ、くそ……」 何度も拳を握りしめ、開く。 焦りで思考がぐちゃぐちゃに乱されそうになるのを、無理やり押さえ込む。 ルードは立ち止まった。 暗闇の中では、いくら探しても手がかりは見つからない。 なら―― (……町だ) ルードは息を吐き、一気に駆け出した。 ◇ 酒場の裏口を出た瞬間、ミリィはひとつ大きく伸びをした。  肩が凝る。足もだるい。ツケを溜めすぎた報いだと言われればその通りだが、だからといって好きで働かされているわけではない。  ……とはいえ、接客そのものはそこまで嫌いじゃなかった。  酒が入れば人は口が軽くなる。  笑いながら相槌を打っていれば、ついでみたいに余計なことまで喋る。  今夜もそれなりに、面白い話は入っていた。  ふと、ミリィは目を細めた。  街道の先を、黒い影が駆けてくる。  夜の中でもわかるほど、切羽詰まった足取りだった。  街灯の下に差しかかって、その顔が見える。 「……ルード?」  思わず声が漏れた。  呼ばれた男は、その場でぴたりと止まった。 息は荒く、視線も落ち着かない。 ミリィは眉をひそめた。  何かがおかしい。  追われてる?  ……だとしたら、呼びかけられて、立ち止まるのも妙な話だ。 「……なんでそんな顔してんの?」  軽く言ってみても、ルードは答えない。  喉の奥で言葉が詰まっているみたいに、口元がわずかに動くだけだった。  そこでようやく、ミリィは気づく。  隣にいるはずの銀髪の娘が、どこにもいない。  嫌な線がひとつ、頭の中で繋がった。 「……アンタ、まさか」  声の調子が、自然と落ちる。 「エレナシアちゃん、いなくなった?」  ルードの拳が、ぐっと強く握られた。 「……ッ」  その反応だけで十分だった。  ミリィは小さく息を吐く。 「……何かあったの」  今度は、からかいを挟まずに訊く。  ルードは数秒黙ったあと、掠れた声を絞り出した。 「……戻ったら、いなかった」  短い一言。  ミリィは目を細める。 「ふぅん……」  相槌ひとつ打ちながら、頭の中でいくつかの線を弾く。  ルードの喉がわずかに動くのを見て、ミリィはほんの少しだけ眉を上げた。  何か言おうとしたように見えたが、声は出なかった。 「……そんな顔したって、アタシが知るわけないでしょ」  わざと軽く言ってみせる。  けれど、ルードは黙ったままだ。 「アンタ、アタシに何も話してくれないじゃん」 「……」  いつもなら、そこでひとつは棘のある言葉が返ってくる。  でも今は、それすらない。  ミリィは小さく息を吐いた。 「……話してくれたら、ちょっとは頭貸したげるかもよ?」 ◇ 街の灯りが、ぼんやりと夜霧に滲んでいた。 (……こりゃ、相当キてるねぇ) 目の前のルードは、まるで獣に追い詰められた小動物みたいだった。 いや、そんなかわいらしいもんじゃない。 ……せいぜいヤマアラシってとこかな。 ミリィは、そんなことを考えながらも、黙って歩き出した。 「とりあえず、場所移そ?」 「……あ?」 ルードは低く唸るように声を漏らしたが、すぐに何かを考え込むように視線を伏せた。 (ほらね、全然冷静じゃない) まったくもう、こんなルード、珍しいどころじゃない。 「ついてきなよ」 ミリィは、ひらひらと手招きして、歩き出す。 ルードは、一瞬だけ逡巡したが――結局、黙って後に続いた。 行きついたのは、酒場の裏手にある簡易宿舎だった。 この街で働く給仕や、旅の労働者が寝泊まりするための、安宿みたいな場所。 ミリィも、ツケの返済を兼ねて、ここの一室を使っている。 ま、ツケのせいでほぼ『借り上げ状態』だけどね! 「はい、ここ」 ミリィは、慣れた手つきで扉を押し開ける。 狭いが、最低限の寝具と椅子がある。 ルードは、無言のまま部屋に足を踏み入れた。 「……座りなよ」 ミリィが椅子を示すと、ルードは渋々といった様子で腰を下ろす。 (さて……) ミリィは、軽く息をつきながら、ルードの顔をじっと見つめた。 「……で?」 「……」 「アンタ、今にも泣きそうじゃん?」 ルードの肩が、ぴくりと動く。 「……は?」 「いやいや、なんかこう……目ぇ真っ赤だし」 「……寝てねぇからだ」 「ふぅん?」 ミリィは、ちょっとだけ体を屈め、ルードの顔を覗き込む。 「……で、そんな顔してるってことは、本気で焦ってんの?」 ルードは、無言で視線を逸らした。 その横顔が、どこか歯がゆい。 (……こんなときくらい素直になりゃいいのに) 誤魔化しきれてない顔が、なんだか笑えない。 「アンタ、誰も信じないタイプでしょ?」 ルードの指が、わずかに動いた。 「……違ぇよ」 「じゃあアタシに全部説明できる?」 「……」 言葉に詰まるルード。 ミリィは、わざと軽く笑ってみせた。 「ま、いいけどさ。で、なんか心当たりとかないわけ?」 ルードは、少しだけ視線を下に落とす。 「……ある」 「ほう?」 「この間、あいつの昔の知り合いだっていう王族の男に会った。金髪の貴族だった。あと、王族の護衛ってやつにも。……そのどっちかだろうな」 ミリィは目を細める。 「つまり、あの子を連れ戻しに来た、ってこと?」 「……知るかよ、そんなの」 ルードは苛立ちを隠さず、吐き捨てるように言った。 ミリィは、ほんの少しだけ言葉を置いて――口にした。 「……でも、助けにいくんでしょ?」 「……助ける? 俺が?」 ミリィは、黙って彼の言葉を待った。 ルードは、ゆっくりと言葉を続ける。 「どの口が言うんだよ、そんなこと。攫って、連れ出して、人生めちゃくちゃにして――」 自嘲ぎみに笑ったその横顔が、ひどく痛々しかった。 「……なぁ」 低く、ルードが口を開く。 その声に、ミリィが少しだけ眉を動かす。 「そもそも、俺は……最初から、あいつを“連れ去った”側の人間だ」 言葉を選ぶようにして、ルードは唇を噛んだ。 「だったら……“助ける”ってのは、一体、何からだ? 何から、誰を、救うってんだ」 沈黙が落ちる。 ミリィは、すぐには答えなかった。 けれど――すっと立ち上がり、ルードの前まで来て、しゃがみこむ。 同じ目線で、彼をじっと見た。 「あの子さぁ……」 ミリィは、ぼそりと呟いた。 返ってくるのは、無言と険しい表情だけ。 「前に一緒に仕事したとき、自分から『行く』って言ったよね」 思い出すように、ミリィはほんの少しだけ目を細めた。 「流されるような子には見えなかったけどなぁ」 ルードは、それでも何も言わない。 (……ったく、す~ぐ黙るんだから) その沈黙に、ミリィは内心で舌打ちしたくなる。 「なんであの子が、ルードと一緒にいるのか考えたことある?」 ちょっと意地悪な声音で投げた問いかけにも、ルードは黙ったままだった。 けれど、その拳がごくわずかに握られたのを、ミリィは見逃さない。 「ま、とにかくさ」 ミリィは、腰に手を当てて軽く息を吐いた。 「アンタがどうしたいか、じゃないの?」 言葉の刃を研ぐように、口調だけはさらりと保つ。 「泣きそうな顔して走り回ってたくせに、今更“行かない”なんて言わないよね?」 励ますつもりなんてこれっぽっちもない。 ……はずだったから、とりあえず皮肉っぽく笑ってみせた。 ◇ (……俺が、行っていいのか?) 心の奥に、どうしようもない問いが湧き上がる。 自分に、そんな資格があるのか。 彼女を、迎えに行くなんて。 “助ける”なんて、言っていいのか。 ”仕事”だったとはいえ、事実として彼女の人生を奪った。 さっきだって、傷つけるようなことまで口にして。 (俺がいなけりゃ、あいつは……) ――いや、違う。 脳裏に浮かぶ。いつかの彼女の言葉。 『私を連れ出してくれてありがとう』 あいつは――そう言ったんだ。 それに。 『城に戻るつもりはない』 はっきりと、そう言っていた。 だからって、全部赦されるなんて思ってない。 それでも―― 彼女は“俺”を選んでくれた。 ……そう、思いたい。 なら、今度は―― 今度は、俺が選ぶ番だ。 ピアスに指をかけ、くるりと回す。 その感触を、自分に刻み込むように。 (あいつを連れ戻す。……このままで、いられるかよ)   ルードは、低く息を吐いた。 「エレナシアを攫ったのが誰か、手がかりを探す」 ルードが低く言うと、ミリィは「そっか」とだけ返した。 「でも言っとくけど、アンタ今わりとお尋ね者よ?手がかり探すったって、その前にアンタがどーにかなっちゃったら詰みなんだからね」 「……じゃあ、どうしろってんだよ」 掠れた声で返すと、ミリィは呆れたように肩をすくめた。 「だから、頭貸したげるって言ったっしょ?」 「……金ならねぇぞ」 「そぉ?」 ミリィはにやっと口角を上げる。 「じゃあ、体で払ってもらおっかな?」 「……」 ルードは答えない。 ミリィは少しだけ目を丸くしたあと、ふっと息を抜いた。 「ま、アタシもあの子に助けてもらった借り、あるしね」 その一言に、ルードのまぶたがわずかに動く。 「……ただし、今日はもう無理だからね」 ミリィは指を一本立てて、きっぱりと言った。 「アタシだって仕事終わりでクタクタなんだから。今から街じゅう駆け回るのは勘弁」 「……わかってる」 「ほんとにぃ?」 疑うように目を細めてから、ミリィは顎で床をしゃくる。 「あとアンタ、床で寝るのよ。わかった?」 「……あぁ」 「アタシが寝てる間に変なことしないでよね?」 「……するかよ、バカ」 いつも通りの悪態が口をついた。 それだけで、張り詰めていたものがわずかに緩む。 「ならよし」 そう言って、くるりと背を向ける。 背中越しにひらひらと手を振りながら、ミリィは気のない調子で付け足した。 「明日になったら、アタシのほうで当たってみる」 「アンタもとりあえず寝な。そんなんで外歩いても、ロクなことになんないから」 ルードは答えなかった。 けれど、追い返すような声も、もう飛んではこなかった。