第22話 そして、世界は白に沈む
数日後。
森の奥で再び弓の練習をしていたエレナシアだったが――
突如、茂みの奥から魔獣のうなり声が聞こえた。
「……!」
姿を現したのは、小型の魔獣だった。
数匹の群れで、じりじりと距離を詰めてくる。
「チッ、出てきやがったな」
ルードは剣を抜き、前に出る。
エレナシアも、思わず弓を握った。
(……やれる?)
自分が放った矢で、狙い通りに敵を仕留められるのか。
ルードはちらりと振り返り、短く言った。
「撃ってみろ」
エレナシアは、弓を構える。
今までの練習を思い出しながら、狙いを定め――矢を放った。
狙いはわずかに逸れたが、それでも矢は魔獣の足に突き刺さった。
「……!」
動きが鈍った魔獣に、ルードが一気に踏み込む。
「……まぁ、悪くねぇ」
その瞬間、甲高い唸り声が響く。
数匹が一斉に飛びかかってきた。
ルードが刃を閃かせ、迷いなく一体を仕留める。
「まだ終わりじゃねえぞ」
短く言い捨て、残りの魔獣へと視線を向ける。
矢を番える。
(……大丈夫、やれる)
息を整え、狙いを定める。
今度こそ、外さない。
放たれた矢が、まっすぐ飛んだ。
一瞬の静寂の後、魔獣の額に突き刺さる。
(……当たった)
倒れる魔獣を確認し、ルードがわずかに口角を上げた。
「やるじゃねえか」
それを見た瞬間、エレナシアの胸に、少しだけ誇らしい気持ちが宿る。
「初陣にしちゃ、上出来だな」
そう言ったルードは、少しだけ口元を緩めていた。
(ルード、嬉しそう……)
弓はしっかり教えてくれていたけれど、どこか上の空というか、乗り気じゃないように感じていた。
だから今の顔を見て、エレナシアはほっとする。
『もっとうまくなりたい』
そう筆に走らせると、ルードは肩をすくめるように言った。
「そんだけ頑張ってりゃ、すぐだろ」
その声に、自然と胸が弾む。
「そのうち、一人で戦えるようになったりしてな」
一見軽い口調。けれど――
ほんの少し、声の奥に影が差した気がした。
(……一人で?)
思わず、ルードのいない景色を想像してしまう。
胸の奥がざわつき、慌てるように筆を走らせた。
『一人はいやかも』
『一緒がいい』
ルードはわずかに目を見開き、すぐに顔をそむけてつぶやく。
「バカ。冗談だよ」
「まだまだ練習が足りねえよ」
その声はぶっきらぼうなのに、どこか焦ったようでもあった。
ちょっと悔しくなりながらも、その言葉にまたほっとするエレナシアだった。
◇
今日も一日、弓の練習をしていた。
朝から的を狙い、何度も弦を引いた。
何日も続けている練習。
腕は少しずつ慣れてきたけれど、それでも狙い通りに当てるのはまだ難しい。
今は、焚き火を囲んで休んでいたところだった。
ルードは木にもたれ、エレナシアは矢の手入れをしながら、静かに火を見つめていた。
その時――
乾いた音が、森の奥から響いた。
ルードの表情が、鋭く引き締まる。
エレナシアは、筆を握る。
『どうしたの?』
ルードは、視線を周囲に向けたまま、低く答えた。
「……誰か来る」
エレナシアは、すぐに弓を握りしめる。
草を踏みしめる音。
じわじわと近づいてくる足音が、森の静寂を切り裂く。
「二人……いや、三人か」
ルードの低い声が、焚き火のはぜる音に混じる。
視線の先――闇の中に、複数の人影が揺れる。
フードを深く被った男たち。
様子を窺いながら、じりじりと距離を詰めてくる。
(……追っ手?)
エレナシアは、眉をひそめた。
ルードが、短く舌打ちする。
「気づかれてないなら、こっちが先に仕掛ける」
エレナシアは、緊張しながら頷いた。
そして――
「撃てるか?」
ルードの低い声が響いた。
エレナシアは、弓を握りしめる。
確かに、練習した。
でも、これは――
(……撃てる?)
ルードは、一瞬だけエレナシアを見た。
「……大丈夫だ。俺がカバーする」
「落ち着いて撃て」
エレナシアは、小さく頷いた。
(……やるしかない)
弦を引く。
矢を番える。
息を整える。
闇の中で、じっと狙いを定め――
(……風、読んで)
(狙いを……)
その時だった。
男の一人が、腰のナイフに手をかける。
金属の鈍い光が、焚き火の赤に染まる。
(あ……)
指が、勝手に動いた。
狙うつもりはなかった。
でも――
怖くて、反射的に弦を放していた。
矢が、夜の静寂を切り裂く。
「――っ!!」
男の肩に矢が突き刺さった。
低い悲鳴が響く。
(当たった……?)
偶然か、それとも――
思考が追いつかないまま、ルードが動いた。
一瞬の隙を逃さず、駆ける。
もう一人の男が剣を抜こうとした瞬間――
拳が、男の腹に叩き込まれる。
「ぐっ……!」
男が苦悶の表情を浮かべ、その場に崩れ落ちた。
その瞬間、三人目の男が焚き火の影から抜け出し、エレナシアの背後へ迫る。
「……!」
男の影が背後に迫る。
振り返ったときには、もう間近に迫っていた。
「……っ!」
矢は狙いを外れ、男の脇をかすめて地面に突き刺さる。
それでも一瞬の牽制には十分だった。
僅かに足を止めた男の隙を、ルードが見逃すはずがなかった。
男の意識が吹き飛ぶほどの蹴りが、側頭部を打ち抜いた。
短い呻き声とともに、男が崩れ落ちる。
静寂が戻る。
焚き火の火が、静かに揺れた。
エレナシアは、弓を握る指を見つめた。
胸の奥の震えが、まだ鎮まらない。
『……ごめんなさい うまく撃てなかった』
ルードはちらりと倒れた男を見て、鼻で笑った。
「一発は当てたじゃねぇか。上出来だ」
その言葉に、エレナシアは小さく瞬きをした。
エレナシアは、まだ動悸の収まらない胸を押さえながら、そっと筆を握りしめた。
(……やれた?)
いや、これは本当に「やった」のか?
ルードは倒れた男たちの服を探る。
そして――
「……こいつら、ただの追っ手じゃねぇ」
「俺の情報が流れてる。……それに」
ルードは低く呟いた。
「……お前の力のことも、知ってやがる」
エレナシアが、ぴくりと肩を震わせる。
筆先が、わずかに止まった。
(……私の、力?)
ルードは、静かに立ち上がる。
そう呟きながら、懐から取り出した紙を広げる。
そこに書かれていたのは――
【手配情報(非公開通達)】
■ 指名手配対象
ルード(男)
・黒髪、琥珀色の瞳
・細身の剣士。左腰に剣、右利き
・左耳に銀の輪飾り
・少女(銀髪)と常に行動
■ 同行者について
・銀髪、紫紺の瞳の女
・魔力干渉あり。刺激により力の暴発の恐れ
・接触時は強制拘束を避け、穏便な誘導を推奨
■ 備考
・報奨金あり。確保状況に応じて加算
・一般掲示は禁止。個人経由で限定拡散中
ほんの数行。だが、あまりにも的確すぎる警告。
ルードの名前と、彼の特徴を記した「手配書」だった。
エレナシアの目がわずかに見開かれる。
ルードは、紙の端に添えられた一文に、じっと視線を落とす。
”同行者の女(銀髪)に対しては刺激を避けること。”
”異常な能力による反撃の可能性あり”
ほんの数行。だが、あまりにも的確すぎる警告だった。
ルードは紙を握りしめながら、低く息を吐いた。
「けど……これはおかしい」
「本当に俺が公的に指名手配されてるなら、こんな手書きの紙じゃなくて、正式な手配書が出回ってるはずだ」
「それがないってことは……」
ルードの琥珀色の瞳が鋭く光る。
「……裏ルートで、俺の情報が売られてるってことだ」