第11話 脆く、儚く、抗えど
昼の太陽が傾き始め、森の中には長い影が伸びていた。
先ほどまで晴れていた空も、いつの間にか淡い雲がかかり始めている。
森の奥へ進むにつれ、周囲は次第に静寂に包まれていった。
夜の襲撃から時間は経ったが、ルードの警戒心はまだ抜けきらない。
追手の気配は感じないが、だからといって気を緩めるわけにはいかなかった。
ルードは足を止め、背後を振り返る。エレナシアもまた、沈黙のままついてきていた。
「……ここにしとくか」
視線の先には、崩れかけた小屋がぽつんと立っていた。
かつては何かの倉庫か、小さな住居だったのかもしれないが、今は半分朽ち果てている。
だが、壁と屋根はまだまともで、しばらく身を隠すには十分だった。
ルードは中に足を踏み入れた。埃っぽい空気が鼻をつくが、害獣の気配はない。
すぐに焚き火をするのは危険だったが、薪は置かれていた。
夜になれば最低限の火は必要だろう。
「ここで休め。夜明けまでは動かない」
エレナシアは小さく頷くと、埃を払って床に腰を下ろした。
ルードも近くに座り、剣を膝の上で軽く指でなぞる。
沈黙が漂う中、しばらくお互いに言葉を発することはなかった。
だが、次に進む前に、はっきりさせておくべきことがある。
ルードは剣を鞘に納めると、ふと視線を上げた。
「……お前は、どうしたいんだ?」
エレナシアは筆を手に取ったが、一度躊躇し、それからゆっくりと文字を綴った。
『依頼人のところへ行くんでしょう?』
ルードはその言葉を見つめ、わずかに眉をひそめた。
依頼人のもとへ連れて行けば、それで終わり――本来なら、そういうはずだった。
だが、ルードの中にはどこか拭えない引っかかりがあった。
最初は、ルードが確実に仕事を果たすまでの牽制だったのかもしれない。
「ちゃんと依頼をこなせ」と、外から圧をかけるためのものだったのだろう。
だが、今は――まるで、ルードがこのままエレナシアを持ち逃げすることを警戒しているかのように。
(……依頼人は、もう俺を信用してねぇってことか?)
ルードは眉間に皺を寄せたまま、エレナシアの筆談に目を落とした。
『それで、私はどうなるの?』
ルードの指が、わずかに膝を叩く。
(……どうなる、か)
このまま依頼を遂行すれば、彼女を引き渡すことになる。
それが何を意味するのか――ルードは、知っているはずだった。
だが、今の自分は、それを考えようとしないままでいる。
エレナシアは伏し目がちに筆を走らせる。
『私は、あの城には戻らない』
ルードの眉がわずかに動く。
その筆跡には、迷いがなかった。
「……じゃあ、どうする?」
エレナシアの手が止まる。
ほんのわずか、筆先が震えた。
『依頼人は、私をどうするつもりなの?』
ルードの指が、わずかに止まる。
エレナシアの問いかけは、当然のものだった。
だが――
(……俺も聞かされてねぇ)
報酬の話はあった。
だが、それ以外のことは何も言われていない。
つまり、「エレナシアをどうするつもりなのか」は、最初から伏せられていた ということだ。
(……なんのために、こいつを狙った?)
理由はいくつも考えられる。
交渉材料として売られるのか、王族の血を持つ花嫁として鎖につながれるのか、あるいは都合よく消されるだけか。
結局、こいつの意思なんか、最初から誰も考えちゃいない。
どれにせよ、ろくでもないことに変わりはない。
沈黙のまま、エレナシアの筆が動いた。
紙の上に浮かび上がる文字は、ゆっくりと、迷いがちに綴られる。
『引き渡されたあとは、どうなるの?』
ルードは無意識のうちに拳を握り込んだ。
エレナシアの手が小さく震えながら、次の言葉を綴る。
筆先が紙を掠れる音だけが、静寂の中に響いた。
『城にいたとき、私はただそこに"いる"だけだった』
『……ただ管理されているだけ』
ルードは目を伏せる。
脳裏に浮かぶのは、薄暗い部屋の中、無表情で立ち尽くすエレナシアの姿。
そこに生気はなかった。ただ存在しているだけの、寂しい影。
エレナシアの筆が止まる。
指が強く筆を握りしめたまま、少しの間、ためらう。
ルードが何か言うより先に、彼女は再び書き始めた。
『でも、依頼人のところに行ったら……』
そこで、一度筆を止めて息を吐く。
『私は……自由になれる?』
ルードは息を詰まらせる。
無邪気な問いかけではない。
彼女は、わかっているのだ。
自分がただの「人」ではなく、「何か」として扱われていることを。
依頼人が、「自由を与える」とは限らないことを。
エレナシアの視線がルードを捉えた。
言葉ではなく、筆談でもなく、ただその瞳が問いかけている。
——ルードは、どう思うの?
ルードは唇を噛んだ。
答えを出すことが、こんなにも難しいとは思わなかった。
自分は、本当にエレナシアのことを考えているのか。
それとも「依頼を放棄する理由」を探しているだけなのか——
わからなくなりそうだった。
(金のためならどんな依頼だってこなしてきた)
(途中で投げたことなんか、一度もねぇ)
それなのに。
一瞬だけ、視線がエレナシアに向かう。
彼女はまだ筆を握ったまま、じっとルードを見つめていた。
(……俺は、何を期待してんだ?)
こいつが何を思おうと、俺のやることは変わらないはずだ。
でも――
(……こいつがどう思ってるかくらい、確認したっていいだろ)
ルードは無意識に膝を叩く。
自分に言い訳をするように、問いを口にした。
「……お前、自由になったら何がしたい?」
その問いは、ほとんど無意識にこぼれた。
エレナシアの答えが、ルードの中の曖昧な迷いを振り払ってくれることを、どこかで期待していたのかもしれない。
エレナシアは一瞬だけ筆を止め、それからゆっくりと書いた。
『……雪を見てみたい』
ルードは目を瞬いた。
「……雪?」
エレナシアは微かに頷いた。
その仕草は、どこか遠くを見つめるようだった。
『本で読んだだけ。触ったこともない』
ルードは、しばらくその文字を見つめたまま動かなかった。
雪。
それは、たった1つの願いでありながら――「自由」の象徴のようにも思えた。
ルードは無意識に額に手をやった。
まさかそんなことを言われるとは思ってもいなかった。
もっと生き延びるための具体的な何か。
例えば「どこかの国に行きたい」とか「誰かに会いたい」とか。
そういう答えが返ってくると考えていた。
だが、彼女の願いは――ただ「雪を見たい」という、あまりにも純粋なものだった。
ルードは胸の奥に生まれた奇妙な感情を振り払うように、わざと乱暴に髪をかいた。
「……そんなもん、いくらでも見られるだろ。雪国に行きゃあな」
エレナシアは少し目を見開き、それから静かに紙に文字を書いた。
『なら、ルードが連れて行ってくれる?』
ルードの手が止まる。
エレナシアの瞳がまっすぐルードを見つめていた。
感情を押し殺したような、それでいてどこか期待を含んだような眼差し。
(……本当に、そんなもんでいいのかよ)
命の危険も、追手の恐怖も、これからどうするかも、全部置いといて――
こいつが望むのは、「雪を見たい」だけなのか?
今まで考えたこともなかったような願いを、こいつは口にする。
ルードは胸の奥に生まれた奇妙な感情を振り払うように、わざと乱暴に髪をかいた。
「……俺が決めることじゃねぇだろ」
そう言って目を逸らした。
静寂が落ちる。
ルードの頭の中では、答えの出ない思考が渦を巻いていた。
(……ここで依頼を放棄することもできる)
同時にそれは依頼人を完全に裏切ることになる。
けれど、このまま依頼を続ければ、いずれエレナシアを引き渡すことになる。
それをすんなり受け入れることは、もうできなかった。
「……」
拳を握る。
金のために動くことが当たり前だったのに――。
(俺は、どうするつもりなんだ)
ルードはゆっくりと目を閉じた。
『ルードは、何がしたいの?』
エレナシアの言葉が脳裏をよぎる。
(……何がしたい、か)
ルードは薄く息を吐いた。
考えたこともなかった。ただ生き延びることだけを考えていた。
どこへ行くのも、誰と行くのも依頼であらかじめ決められていた。
だけど。
「……」
手の甲で目をこすり、浅い息を吐く。こんなことで悩むとは思わなかった。
(俺も、大概バカになったな)
もしも、誰かとどこかへ行くことが「目的」になるなら――。
それは、今までとは違う生き方なのかもしれない。
◇
森は夜の冷気をまとい、草葉には朝露が降りている。
遠くの空が紫から青へと変わる中、ルードは黙って歩き続けた。
エレナシアは、やや足取りが重い。
昨日の冷え込みが堪えたのか、少し顔色が悪いようにも見える。
(……このまま歩き続けても、いずれ限界がくる)
ルードはちらりと彼女を振り返り、少しだけ歩調を緩めた。
その時、エレナシアが足を止め、鞄を探る。
筆と紙を取り出そうとしたが、紙束がほとんど残っていなかった。
エレナシアは小さく肩を落とし、申し訳なさそうにルードを見上げる。
(……まったく)
「……町に寄るぞ」
ルードの言葉に、エレナシアは静かに頷いた。
◇
市場の通りに足を踏み入れた瞬間、ふわりと香ばしい匂いが鼻をくすぐった。
焼きたてのパン。蜜のかかった果実菓子。香草の香りをまとった素朴な焼き菓子。
その匂いに、エレナシアの足が自然と止まる。
「……好きなのか、そういうの」
ルードがぼそりと呟くと、エレナシアはほんの少し、目を細めて頷いた。
『焼き菓子、好き』
素直な言葉に、ルードは小さく鼻を鳴らす。
「……のど渇かねえか?そういうの」
それでもエレナシアは気にした様子もなく、目を輝かせて露店を見つめていた。
(……まったく。よく飽きねぇな)
そんなことを思いながら、ルードはその隣で、人の波に肩をすくめた。
「……人ごみは、苦手だ」
誰にともなくぼやいてから、ルードは少し早足で歩き出した。
エレナシアは、店先に並んだ焼き菓子の山をじっと見つめていた。
サクサクのパイ、砂糖をまぶしたクッキー、小さなタルト。
甘く香ばしい匂いに、足を止めていた。
けれど、ルードが隣にいるのを思い出したのか、彼女はすぐに顔を伏せ、小さく首を振ってその場を離れようとする。
(……欲しかったんじゃねぇのか)
ルードはちらりと彼女の横顔を見て、ため息をついた。
「……買えばいいだろ」
エレナシアは驚いたように立ち止まる。
「ほら」
ルードは無造作に店先に歩み寄り、焼き菓子をひとつだけ選んで無言で代金を払った。
紙に包まれたクッキーを、軽くエレナシアに差し出す。
「別に、深い意味はねぇよ」
エレナシアは一瞬だけ目を見開き、そして、静かに受け取った。
言葉はなかったが――その仕草だけで、十分だった。
活気ある市場の喧騒の中、ルードは人々をかき分けるようにして歩いていた。
背後では、焼き菓子を片手にしたエレナシアがついてくる。
彼女は小さな一口をゆっくりと噛みしめながら、少しだけ嬉しそうにしていた。
(……にしても、騒がしいな)
そう思った瞬間だった。
「おい、下がれ!」
人混みの中から怒号が上がる。
ルードの目が鋭くなる。すぐに剣の柄へと手が伸びたが――
(抜けねぇ……)
周囲は買い物客で溢れかえっている。ここで剣を抜けば、巻き添えは避けられない。
ルードは舌打ちし、鞘に入ったままの剣を構えると、目前に迫った男の攻撃をいなすように受け止めた。
衝突の衝撃が、肩まで響く。
「――チッ!」
反動を活かし、鞘ごと敵の脇腹を薙ぐ。鈍い音とともに相手が吹き飛んだ。
次いで、背後からの気配に反応し、剣を使わずに体をひねって蹴りを叩き込む。
敵は三人、四人と次々に現れるが、ルードは一歩も退かずに応戦した。
その時、声が聞こえた。
「そっちだ、囲め!」
(……こっちが本命か)
背後の路地へと誘導される。
エレナシアも気づいてついてくる。
狭い袋小路。逃げ道はない。
左右から敵が迫り、逃げ場は屋根しかなかった。
ルードは軽く息を吐き、壁に向かって助走をつける。
石造りの壁を蹴って跳ね上がり、壁の隅を蹴ってさらに反転。高所から反対側へ飛び降り、敵の背後を突いた。
刃が風を裂き、ふたりを一瞬で沈める。
(……残り一人)
瓦礫の陰に、微かな気配が揺れる。
ルードは目を細め、剣を構え直した。
「……逃げたか?」
一歩、踏み出した瞬間――空気がひりついた。
肌を刺すような圧力。視界の端が、ゆらりと歪む。
魔力の気配に似ているが、何かが引っかかる。
(……魔術、か?)
そんな疑念を抱く間もなく、風を裂く音が耳を打つ。
土塊を圧縮したような弾が地面を抉り、一直線にこちらへ向かってきていた。
避けきれないと判断し、剣を前に出そうとした――その時だった。
風が、爆ぜた。
横合いから伸びた光が、飛来物と正面からぶつかる。
淡く揺れる輝きの中に、エレナシアの姿があった。
「……!」
駆け寄ろうとするルードの目の前で、彼女は膝をつく。
肩が小さく震えていた。
(また……使わせちまった)
言いようのない焦燥が、胸を満たす。
「……おい」
声をかけると、エレナシアは首を横に振る。
筆談もできないほど、消耗している。
(大丈夫、じゃねぇ……)
視界の端で、先ほどの男が腰から何かを引き抜く。
細長い金属筒のようなそれを、再びこちらに向けていた。
(……なんだ、あれ)
見慣れない形。だが、攻撃の起点があれだというのは直感でわかる。
魔術ではない。けれど、魔術よりずっと質が悪い。
ルードはゆっくりと立ち上がった。
剣を握る手に力がこもる。
男が何かの操作をしようとした、その瞬間。
(――させるかよ!)
体が先に動いていた。
鞘ごと振り抜いた剣が、男の腹に叩き込まれる。
だが、それだけでは終わらせない。
倒れた相手に、追撃を重ねた。
重心を低く保ったまま、剣を抜き、脇腹へ鋭く打ち込む。
「うっ……!」
魔術師が呻く間もなく、手首を蹴り上げて魔術を練る隙を奪う。
呻き声と同時に、魔力の光が霧散していった。
ルードは相手の意識が飛んだのを確認すると、ようやく剣を収めた。
息が荒い。
冷たい汗が額を伝って落ちる。
背後を振り返ると、エレナシアがまだ膝をついていた。
肩はかすかに揺れているが、意識はあるようだった。
(無茶しやがって……)
だが、怒鳴る気にはなれなかった。
彼女が自分を庇ったことは、責められることじゃない。
責めるべきは、自分の油断だった。
ルードはそっと近づき、彼女の傍に膝をついた。
「……悪かった」
それは、めったに口にしない、率直な言葉だった。
エレナシアは何も言わず、小さく首を横に振った。
それだけで、十分だった。
まだ空気には、魔力の余熱がかすかに残っていた。
けれど、エレナシアの目は、確かにこちらを見ていた。
◇
陽が傾きはじめた頃、ルードは人通りの少ない裏通りへと足を踏み入れた。
後ろを歩くエレナシアは、口には出さないものの、足取りにわずかな揺らぎがある。
(……もう、限界だな)
通りの先に小さな宿の看板を見つけ、ルードは立ち止まった。
外見は古びているが、人目にはつきにくい立地。出入り口も表と裏に分かれている。
「……ここにする」
誰に言うでもなく呟き、ルードは周囲に視線を走らせてから、素早く裏口へと回った。
帳場で名を聞かれたときも、偽名を口にし、無駄なやり取りは最小限に抑える。
(何日も滞在するつもりはねぇ。今は、休むだけだ)
代金を払い、鍵を受け取ると、ルードは疲れの色を隠そうともせずエレナシアを振り返った。
彼女はわずかに頷き、足元に気をつけながら後に続く。
そして──
部屋の扉を開けると、内部は狭いながらも清潔だった。
──しかし、問題がひとつ。
ベッドがひとつしかない。
エレナシアも部屋を見回し、筆談用の紙に手を伸ばす――が、その動きは、いつになく鈍かった。
椅子の背もたれに身を預けるようにして、かろうじて筆を走らせる。
『どうする?』
その筆跡さえ、かすかに震えている。
ルードは小さく舌打ちし、ため息をついた。
「俺は床で寝る」
そう言いながら、床を指さした。
だが、エレナシアの反応が遅い。紙に何かを書こうとして、筆を握る手が空を切った。
(……力、入らねぇのか)
思わず近づき、文字を覗き込む。
ようやく綴られた言葉は――
『私は椅子でいい』
「バカか。そんなもんで寝られるかよ」
そう言って紙を軽く弾くが、彼女は気丈に背筋を伸ばして座り直す。
……が、それだけの動作で、呼吸が浅くなるのが分かる。
(マジで、動くのもしんどいんじゃねぇか)
ルードの眉がわずかに動いた。
ふと、エレナシアが髪に手をやるのが見えた。
いつもなら一瞬でまとめてしまう長い銀髪が、指先でわずかに撫でられただけで整えられずに落ちる。
「おい」
エレナシアが顔を上げる。
ルードは視線で彼女の髪を示した。
「乱れてるぞ」
彼女は小さく瞬き、何か言いかけたが、何も言わずにそっと背を向けた。
拒絶も反発もない。ただ、静かに身を任せる。
ルードは黙って手を伸ばし、絡んだ髪をゆっくりと指先でほどいた。
それは細くて、柔らかくて、ふれるたびに体温が伝わってくる。
もともと彼がつけてやった 髪飾りが揺れ、それを留め直すようにそっと指を動かした。
「……よし」
声をかけると、彼女の体がほんのわずかに傾いだ。
とっさに肩を支えると、エレナシアは驚いたようにルードを見つめた。
『大丈夫』
筆でそう綴ると、再び紙を持ち替えてもう一言。
『ありがとう』
その文字は、どこか儚げだった。
ふとエレナシアの背中に目が留まる。旅の埃か、うっすらと砂のような汚れがついていた。
「……服、ちょっと汚れてるぞ」
何気なくルードが手を伸ばし、背中の埃を軽く払う。
エレナシアが一瞬、ピクリと肩をすくめた。
「……悪い、いきなり触って」
小さく呟いて手を引くが、その反応が頭に引っかかる。
(……あそこに、封印があるんだったな)
指先に残る感触。
以前、彼女が暴走しかけたのを思い出す。
(封印があっても、力は漏れ出す)
(……じゃあ、封印が消えたら?)
無意識に、背筋が冷える。
(……こいつが背負ってるものって、やっぱり……)
背中に刻まれた“何か”を思い出し、ルードはほんのわずかに目を伏せた。
それだけを言うと、彼女は小さく頷き、ベッドの端に体を預けるようにして横になる。
ルードは無言で荷物を片付け、椅子に腰を下ろした。
手元に剣を置き、目を閉じる……が、すぐに開いた。
視界の隅で、エレナシアの肩がかすかに震えていた。
呼吸は浅く、頬には微かに熱が滲んでいる。
(……力の代償か)
彼女が言葉にしなくても、分かる。
どれだけ無理をしたのか――無理をしてでも、自分を守ろうとしたということが。
ルードは目を閉じ、深く息を吐いた。
(……もう、二度と使わせるかよ)
夜は静かに更けていく。
だが、冷たい風と同じくらい、胸の奥のざらつきは残り続けていた。