第6話 路地裏のネコは気ままに嗤う

市場の喧騒が賑やかに響く中、ルードとエレナシアは足早に歩いていた。 「……この街を出る前に、少し補給しておく」 ルードがそう言いながら、通りの商店を見渡す。 宿での療養を終えたばかりだが、まだ油断はできない。 エレナシアが薬草を取りに行ってくれたおかげで傷の具合は悪くないが、油断すればすぐに動けなくなるだろう。 今のうちに薬と最低限の物資を揃えておく必要があった。 エレナシアは筆談用の紙に『何買う?』と書いて、ルードに見せる。 「薬と、少し食い物だな」 エレナシアは頷き、ルードと共に薬屋を探し始める。 市場は活気に満ち、行商人たちが声を張り上げながら商品を並べていた。そんな中、ルードは背後に微かな視線を感じる。 (……誰かが見ている) 目立つ行動はしていない。だが、こういう感覚には覚えがある。 「……やっほー、ルード♡」 馴れ馴れしく、軽やかな声が背後から響いた。 透き通るように高く、どこかくすぐるような甘い響き。 しかし、その語尾には独特のクセがあり、ふわりと跳ねるように耳に残る。 ルードは その声を聞いた瞬間、反射的に軟骨のほうのピアスに触れた。 そこにあるのは、無骨な金属の輪――癖のように指先がそこへ伸びる。 ルードが眉をひそめて振り返ると――。 そこには、赤い髪を揺らした少女が立っていた。 小柄でしなやかな体つき。 細い肩から流れる真紅の髪は、毛先が緩く跳ね、陽の光を受けて淡く輝いている。 そして、猫のように涼やかな 翡翠色の瞳 が、ルードを面白そうに見つめていた。 長いまつげがひらひらと瞬く。 どこか気まぐれな表情を浮かべながら、彼女は無邪気に微笑んだ。 「ねえねえ、久しぶりだけど元気してたぁ?」 言葉の端々が小さく弾むようで、まるで子猫が喉を鳴らすような響きがある。 耳に心地よく、それでいて気を抜くと転がされそうな、不思議な声だった。 「……ミリィ」 ルードは、わずかに眉を寄せる。 馴れ馴れしい態度はいつものことだが、こうして突然現れるのは ろくな時じゃない。 賞金稼ぎ仲間――というのは、あくまでミリィの認識であって、ルードの意識にはない。 いつも騒動を起こし、気づけばツケを押し付けてくる。 仕事をするたびに厄介ごとを増やし、後始末をさせられるのは決まってルードだった。 当然、苦手な相手だ。 しかし、本人にその自覚は皆無。 ミリィは人懐っこい笑みを浮かべながら、片手をひらひらと振る。 「……なんでここにいる」 ルードの声は、自然と低くなる。 めんどくせぇ――そう言わんばかりのトーンだった。 「そりゃもちろん、お仕事よ、お仕事♪」 ミリィは軽い調子で言うが、その目は笑っていなかった。 「それより……」 彼女の視線がすっとエレナシアに向かう。 ルードは即座に警戒心を強めた。 エレナシアは、淡く瞬きをして一歩だけルードに近づく。 「……アンタ、もしかして“お仕事”まだ続けてる?」 この依頼は、依頼人が名指しでルードを指名したものだ。 表立って広まるような情報ではないはず――。 彼女の唇がルードの耳元に近づく。 「まさかとは思うけど、あの娘……“荷物”だったりしないよね?」 エレナシアをちらと見ながら、唇に指を添えて囁くように言った。 ルードの表情がわずかに険しくなる。 「……だったら?」 「やっぱりねぇ♪」 ミリィは愉快そうにくすくす笑いながら、ルードの腕を撫でる。 「へぇ……アンタ、ターゲットと一緒に買い物なんてしちゃうんだ?」 彼女の声は冗談めいているが、言葉の奥には探るような意図が透けて見える。 ルードは、無意識のうちに拳を握った。 (――こいつ、どうして知ってやがる) ミリィは、並の賞金稼ぎとは一線を画す存在だ。 情報を仕入れる能力もずば抜けており、普通なら知るはずのないことをなぜか先回りして把握していることが多い。 噂よりも速く、確信よりも深く――。 今回も、その“得体の知れない勘”が働いたのか。 ルードは、ミリィの挑発的な笑みを見ながら、内心で舌打ちを噛み殺した。 気にしていないふりをしながら、そっけなく返す。 「……なんだ、見てたのか」 「たまたま通っただけ♡」 ミリィはひょいっと片手を上げて、悪びれもせずに笑う。 その目には、からかいと興味の色が混ざっていた。 「もしかして、デートだったりして?」 ミリィは唇をつり上げながら、楽しげに目を細める。 「ガキのくせに、生意気〜♡」 ルードは一瞬、言葉を飲み込む。 からかいに乗る気はないが、わざわざ否定するのも面倒だ。 それでも、視線をそらしながら答える。 「仕事だ。必要なもんを揃えてただけだ」 そっけない口調と裏腹に、わずかに早口だった。 いつもの調子を保っているつもりなのに、どこか張りつめている。 ミリィはその空気を楽しむように、口の端を上げた。 「へぇ〜、そんな言い訳めいた声出すんだぁ♡」 ルードは返さなかった。 何も言わずに前を向いて歩き出す。 その背中に、からかいの声が追いかける。 「ねーねー、顔には出てないけど、耳はバレてんだからね〜?」 その言葉に、ルードの指先がわずかに止まる。 無意識にピアスをいじっていたと気づき、さりげなく手を離した。 「もしかして、ただの賞金稼ぎじゃなくなった?」 ミリィはルードの横顔をちらりと見て、にやけた唇の端をさらに上げた。 「……何が言いたい」 「なぁんにも♪ ただ、賞金稼ぎってのは割り切ってるのが当たり前だからさ」 ミリィはルードの胸元に軽く指を這わせながら、少しだけ声を潜めた。 「『金のため』なら、どんなことでもやるのが普通でしょ? アンタ、そこブレちゃダメじゃない?」 ルードは微かに目を細める。 「……誰がブレてるって?」 「ん~ん。別に?」 ミリィは意地悪く笑いながら、さらに距離を詰める。 「まぁまぁ、それよりさ」 彼女はぱっと距離を取り、くるりと背を向ける。 「ちょっとした仕事があるんだ。手伝ってくれない?」 「……仕事?」 「うん。お宝探し♪」 「……またか」 「そーそー、でも今回はちゃんと情報があるんだよ?」 ミリィは楽しそうにくるくると踊るように回りながら言った。 「この街の郊外に、ちょっとした隠し金庫があるって話を聞いたの。昔の貴族が隠したお宝がね♪」 「……そんな話、どこで聞いた」 「そりゃ、アタシの情報網よ♡」 「……」 ルードはしばし考えた。 「……今は忙しい」 「あら、そぉ?でもさぁ、無視すると面倒なことになると思うなぁ♪」 ルードは、軽い口調の裏にある確信めいた響きを聞き逃さなかった。 ミリィの情報網は異常なほど広く、彼女を敵に回すと厄介だ。 無理に振り切っても、どうせどこかでまた絡まれる。 (――こいつの機嫌を損ねると、余計なトラブルに巻き込まれるのがオチだ) 正直、これ以上時間を浪費したくはない。 エレナシアを連れている以上、余計な目立つ行動は避けたいし、依頼の期限もある。 だが、ミリィはしつこい。 適当にあしらっても、どうせ勝手に首を突っ込んでくるだろう。 「……お宝探し、ねぇ」 ルードは渋々考え込む素振りを見せた。 下手に拒否して無駄な時間を取られるくらいなら、さっさと付き合って片をつけたほうが早いかもしれない。 「ほんの少しだけ、手伝ってくれるだけでいいのよ?」 ミリィがにっこりと笑う。 (……信用ならねぇ) どうせ、"ほんの少し" で済むわけがない。 それでも、関わらざるを得ないなら、さっさと終わらせるしかない。 ルードは深く息を吐いた。 「……分かった。ただし、すぐ終わらせるぞ」 「やったぁ♪」 そう言って、ミリィは楽しげに踊るように回った。 その仕草を見ながら、ルードは小さく舌打ちを噛み殺した。 ルードはミリィを真っ直ぐに見据えながら言った。 「こいつ……エレナシアも一緒に行く。それが条件だ」 ミリィは一瞬きょとんとした後、ふふっと意味深に微笑んだ。 「へぇ~……そういうこと♪」 「……何がだ」 「ううん、なんでも♡ まあ、いいよ。好きにしなさいな?」 そう言って、ミリィはひらひらと手を振る。 (……なんか気に食わねぇな) ルードは無言のままエレナシアの方をちらりと見た。 彼女は静かに筆を動かし、紙に一言だけ記した。 『行く』 一言だけ。けれど、その文字には迷いはなかった。 その決意を見て、ルードは短く息を吐いた。 「……なら、さっさと片付けるぞ」 「はいは~い♪」 ミリィは相変わらず軽い調子で笑い、ルードは苛立ちを押し殺しながら歩き出した。 どうせ、また厄介なことに巻き込まれるに決まっている。 (……めんどくせぇことにならなきゃいいが) ◇ エレナシアは無言でルードを見上げた。 ミリィが言った「金のためなら何でもやるのが普通」という言葉が、胸の奥に引っかかっていた。 (……私って、ルードにとって……) 何かを確かめたくて、それでも言葉にはできなくて。 わかっていたはずだった。 彼が自分を連れ出したのは、金のためだと。 けれど、本当にそれだけなのか。 それだけじゃないと――ただ、自分が信じたかっただけなのか。 エレナシアはそっとルードの袖をつまんだ。 気づいたルードが彼女を見下ろす。 「……どうした?」 エレナシアは何も言わず、ただ小さく首を振るだけだった。 ルードは少しだけ考え込むような表情を見せたが、何も言わずに歩き出す。 彼にとって、自分はただの仕事の道具なのか。それとも――。 エレナシアの中に生まれた疑問は、ゆっくりと膨らんでいった。 ◇ ルードは軽く息を吐きながら背を向けた。 「準備がある。時間になったら合流する」 「そっか。んじゃ、あとで酒場に集合ってことで♪」 ミリィは軽く手を振り、軽やかな足取りで去っていく。 ルードはしばらくその姿を見送っていたが、やがてエレナシアの方を振り向いた。 「……この街に長居する気はねぇ。別の宿にするぞ」 エレナシアは小さく頷いた。 ルードは周囲を見渡し、人通りの少ない方へと歩き出す。 宿の主人に顔を覚えられるのは、あまり気分のいいものではない。 「……余計な面倒を増やすのは御免だからな」 ぼそりと呟きながら、ルードは街の通りを進んでいった。 エレナシアは静かにその後をついていく。 市場の喧騒を抜け、静かな通りを歩く。 エレナシアはどこか考え込むような表情をしていた。 ルードはちらりと彼女を横目で見るが、特に何かを言うことはなかった。 代わりに、歩く速度を少しだけ落としながら、慎重に周囲を見渡す。 「……こっちだ」 そう言いながら、さりげなく路地裏へと足を向けた。 目立たず、宿の主人が余計な詮索をしないような場所が理想だ。 しばらく歩いた先、小さな宿の看板が目に入る。 適当に見繕った宿へ入ると、中は先ほどの宿と比べてひっそりと静まり返っていた。 昼間の喧騒から離れた分、客も少ないのだろう。 「ここでいい」 カウンターの前に立ち、ルードは短く言った。 部屋に入ると、ルードはベッドの端に腰掛け、 剣の手入れを始めた。 エレナシアもいつものように筆談の紙を用意しようとするが、すぐには筆を取らなかった。 代わりに、じっとルードの横顔を見つめる。 「……なんだ?」 視線を感じたルードが、何気なく顔を上げる。 エレナシアは迷うように筆を手に取り、ゆっくりと紙に書き始めた。 『私って、あなたにとって……“依頼”のまま?』 ルードの手が止まる。 握っていた布が、指の間でしわくちゃに丸まる。 刃の光が、僅かに揺れた。 「……急に、どうした」 エレナシアはただ、じっとルードを見つめていた。 筆を握り直し、続ける。 『……さっき、あの子が言ってた』 『賞金稼ぎは、金のためならなんでもやるって』 ルードは微かに息を吐く。 「……あいつは、そういう奴だからな」 だが、エレナシアは筆を動かし続ける。 『それなら……』 『あなたにとって私は?』 『今も“取引の対象” のまま……?』 ルードの眉がわずかに寄る。 「……なんで、そんなことを聞く」 『……私は、”仕事の一部”でしかない……ってこと?』 ルードは言葉に詰まった。 「……」 考えたこともなかった。 いや、考える必要がなかった。 金のために攫った。 連れて逃げた。 だから、仕事だろ。 ――でも、それなら。 なぜ、あの夜の熱に浮かされたとき、彼女は逃げなかった? なぜ、いまもこうして問いかけてくる? なぜ、俺は首輪を捨てた? 何か答えようとしたが、喉の奥で言葉がつかえる。 だが、妙な迷いが生まれる前に、ルードはわざと冷たく答えた。 「……そりゃ、そうだろ」 静かな声だった。 「仕事ってのは……賞金稼ぎってのは、そういうもんだ。」 一瞬、言葉を選ぶような間があった。 それでも、ルードはその違和感を振り払うように、続ける。 「最初に、そう言っただろ」 「お前がどう思おうが……関係ないって」 言ってしまってから、エレナシアの表情がわずかに揺れたのを見て、ルードは違和感を覚えた。 それは、怒りでも苛立ちでもなく――ただ、静かに失望するような顔だった。 エレナシアはただ目を伏せる。 『……そう』 たった一言だけを書いて、それを見せる。 ルードの胸が、妙にざらついた。 何か言おうとしたが、言葉が出なかった。 エレナシアは紙を伏せ、椅子を少しだけ引いて、彼との距離を取るように座り直す。 まるで、何もなかったかのように、静かに視線を落とす。 「……」 ルードは、剣の手入れを再開する。 だが、さっきまでのように集中できなかった。 自分で言ったことなのに、なぜか胸の奥が妙に重かった。 (……なんで、お前がそんな顔するんだ) ただの事実を言っただけだ。 なのに、なぜ――。 約束の時間が近づき、ルードとエレナシアは再び宿を出た。 だが、いつもと違って二人の間には微妙な沈黙が流れていた。 エレナシアは口がきけない。 だからこそ、普段は表情や仕草で感情を伝える。 だが今は――ルードを見ようとせず、少しだけ歩幅を落としてついてきていた。 (……なんだったんだよ、さっきのは) さっきのやり取りが、頭の片隅に残っていた。 別に間違ったことは言ってない。 ……はずなのに。 「……」 ルードはちらりとエレナシアを横目で見る。 彼女は相変わらず視線を落としたまま、ただ黙っていた。 (……俺のせいだってのかよ) 言葉に詰まったまま、二人は依頼の待ち合わせ場所へと向かう。 こうして、微妙な空気を引きずったまま、ルードとエレナシアはミリィと合流することになった。 ◇ ルードとエレナシアが酒場へ向かう頃には、街の灯がすでに夕闇に溶け始めていた。 空は深い藍色に染まり、店々の灯りが通りをほのかに照らしている。 酒場の扉を押し開けると、内側からは賑やかな笑い声と酒の匂いが溢れ出してきた。 中へ足を踏み入れると、ミリィはカウンターで豪快に食事をしていた。 皿の上には山盛りの肉料理。 さらにテーブルには、パンやスープまで並んでおり、彼女がこれを一人で食べていることが一目で分かった。 ルードは呆れたように息を吐き、カウンターの奥の時計をちらりと見る。 (……日が暮れてから、もう一時間は経ってるか) 外が完全に暗くなる前に探索を始めるつもりだったが、どうやらミリィは食事のほうを優先したいらしい。 「遅いよ~、待ちくたびれて食べちゃってた♪」 ルードが席に着くなり、ミリィは満面の笑みを浮かべたまま、フォークを口に運ぶ。 「お前、相変わらずよく食うな」 ルードが呆れたように言うと、ミリィは「ん~?」と無邪気に首を傾げた。 「だって食べないと力出ないじゃん? それにこの街の料理、おいしいんだよね~。ほら、これ食べる?」 そう言って、手に持ったパンをルードの前に差し出そうとする。が、ルードは軽く手を払って拒否した。 「遠慮しとく」 「ちぇっ、相変わらずノリ悪いんだから」 ミリィは頬を膨らませつつ、それを自分の口へ運んだ。 そして、にやりと笑いながら続ける。 「それよりさ~……ルード、なんかあった?」 「……何がだ」 ルードは、無意識に眉をひそめる。 この会話の流れ、知っている。 何度も経験してきた。 ミリィは、妙なところで勘が鋭い。 しかも、普通の勘じゃない。 “気づかれたくないこと”を、よりによって的確に言い当ててくる。 これまでに何度も 「なぜそんなことまでわかる?」 と思うようなことを見透かされてきた。 ごまかしても無駄だと悟ったことも、一度や二度ではない。 だから――嫌な予感しかしない。 「いやさ、さっきからエレナシアちゃん、ずっと黙ってるじゃん?」 ミリィはエレナシアの方へちらりと視線を向ける。 彼女は筆を持ったまま俯いていた。 「なんか雰囲気悪くない? ねぇ、もしかして……喧嘩でもした?」 ルードの手が一瞬止まる。 (……チッ) そのわずかな反応を、ミリィが見逃すはずがなかった。 「ほら、やっぱり!」 ルードが口を開くより早く、ミリィはにんまりと口角を上げた。 彼女の翡翠色の瞳がきらきらと輝き、まるで面白いものを見つけた猫のように、鋭く笑う。 ――まただ。 またしても、見透かされた。 ルードは、内心で深くため息をつく。 何度経験しても、この嫌な気分には慣れそうにない。 「へぇ~、当たり? ルードってば、女の子泣かせるようなこと言ったんじゃないの~?」 「……くだらねぇ」 ルードはそう言って話を流そうとしたが、ミリィは一向に引き下がる気配がない。 「うわ~、マジっぽい! いや~、ルードってさ、もうちょっと優しいタイプかと思ってたんだけどな~。一体何言っちゃったの?」 「お前に関係ねぇだろ」 「あるある♪ だって、仲間が険悪だと、仕事に影響するでしょ?」 「……」 ルードはミリィの方を睨んだが、彼女はどこ吹く風といった様子で肉を頬張っている。 「っていうかさ。ルードって、結局エレナシアちゃんのことどう思ってるわけ?」 その言葉に、ルードの眉がわずかに動いた。 エレナシアも、筆を持つ手を僅かに強く握る。 「……仕事の相手だ」 ルードは淡々と答えた。 エレナシアの手が、僅かに震えた。 ミリィは、その様子をじっと観察していたが、すぐに「ふぅん」と気のない返事をする。 「まぁ、いいけどさ♪」 そう言って、手元の皿に残った最後の一切れの肉を口に放り込む。 「ま、野暮なことはさておき! そろそろ本題いこっか!」 「……ああ」 ルードは会話を終わらせるように頷く。エレナシアはまだ視線を落としたままだった。 ミリィはテーブルに地図を広げると、指で一点を示した。 「地下水路……?」 「どうやら、この街の有力者が昔、地下に秘密の金庫を隠してたらしいんだけど……」 ルードは無意識のうちに、ピアスを指で弄る。 (有力者の隠し財産、ね) 「で、その持ち主が、どこにあるのか誰にも言わないまま死んじゃったんだってさ」 ミリィは軽い調子で肩をすくめる。 「金庫の噂だけが残って、みんな必死に探したんだけど、見つからなかったらしいんだよね~」 「……見つからないものを、どうやって調査する?」 ルードがピアスをいじる指を止める。 ミリィはいたずらっぽく笑った。 「そりゃ、見つかったのよ。つい最近ね!」 「だけど、その金庫がある地下水路……探索に入った奴らが、全然戻ってこないみたいでさ~」 ミリィの言葉が終わると、ルードは小さく息を吐いた。 「……魔物か」 「まぁ、その可能性が高いね。でも、金庫の中身が何かは誰にも分からない。」 「依頼主も『とにかく場所と状態を確かめてきてくれ』って話だったし」 「報酬は?」 「ちゃんと決まってるよ♪ 」 「……で、そっちの……エレナシアちゃん?も一緒に来るってことでいいんだよね?」 エレナシアは、静かに筆を走らせた。 『……うん』 短い答えだった。 ミリィはそれを見て、にんまりと笑う。 「そっかそっか~♪ じゃ、よろしくね!」 そんな軽いノリとは裏腹に、エレナシアの表情はどこか曇ったままだった。 それを見ていたルードも、胸の奥が微かにざらついた。 あいつが行くと言ったのは、宝のためじゃないことはわかってる。 ……じゃあ、なんのために? その答えに触れたくなくて、ルードは黙って立ち上がった。 「……さっさと済ませるぞ」 そう短く言い捨て、立ち上がる。 こうして、金庫のある地下水路へと向かうことになった。 だが、その場所に待ち受けているものは――単なるお宝探しでは済まなかった。 ◇ 街の喧騒を抜け、地下水路へと続く薄暗い通路を進む。 古びた石畳が湿り気を帯び、冷たい風が吹き抜けていた。 「いや~、こういう雰囲気、めっちゃいいね!」 ミリィが上機嫌で足を弾ませる。 軽快な足取りで先を歩きながら、ちらちらとルードの方を見てはニヤついている。 「ねえルード、アンタもワクワクしてるでしょ?」 「するわけねぇだろ」 「え~、そんな冷めたこと言ってさ。本当は、久々にアタシと組めて嬉しいんでしょ?」 「……お前が喋りすぎなければな」 ミリィはからかうように笑い、ルードの腕にちょいちょいと触れてくる。 ルードは鬱陶しそうに肩をすくめ、それを振り払った。 だが、その時、後ろを歩くエレナシアが微かに視線を伏せたのを、ルードは見逃さなかった。 (……?) ただの気のせいか。いや、エレナシアの様子が妙に静かだ。 もともと無口というか、喋れないのは分かっている。 だが、何かを言いたげにしているような、そんな雰囲気が伝わってくる。 「ねえねえ、そういえばさ~」 ミリィの声が、そんな思考を遮る。 「ルード、アンタ、あの子のことどこまで知ってんの?」 ルードは眉をひそめた。 「は?」 「うふふ♪」 ミリィは悪戯っぽい笑みを浮かべながら、ルードにぐっと近づき、わざと耳元で囁くように言った。 「アンタが知らないエレナシアちゃんの秘密、教えてあげよっか?」 「……」 ルードの眉間に皺が寄る。 「お前、何を知ってる」 「さ~て、なんでしょ~?」 ミリィは楽しげに言葉を引き延ばしながら、ルードの胸元に手を置くような仕草をする。 「うざい、離れろ」 ルードは無造作に彼女を押しのけたが、ミリィは全然気にした様子もなく、「も~、つれないな~」と笑うだけだった。 しかし、ルードはふとエレナシアの方を見た。 彼女は、筆を持ったまま、どこかぎこちなく指を動かしていた。 (……何か、気にしてる?) ルードは口を開きかけたが、ミリィがまた話し出す。 「でもさ~、アンタ、ちゃんとわかってんの?」 「何の話だ」 「エレナシアちゃんのことだよ」 ミリィは、ちらっと後ろのエレナシアを見た。 「こういうのってさ、長く一緒にいると、勘違いしちゃうもんだけど……。」 「結局のところ、エレナシアちゃんって、アンタにとって何なの?」 「……」 唐突に、ルードの肩が強張る。 「……ただの仕事だ」 そう言い切った。 エレナシアの筆が、ピタリと止まる。 「……そうなんだ」 ミリィはくすっと笑った。 「ま、そう言うと思ったけどね~。でもさ~、そう言ってる割には、すごく気にしてるよね?」 「……」 ルードは言葉に詰まった。 「何が言いたい」 「さあ?」 ミリィはひらひらと手を振りながら、再び前を向いた。 エレナシアは、微妙に顔を伏せたままだ。 ルードは、さっきよりもさらに気まずい気分になった。 (……なんだってんだ、もう) うんざりしながらも、エレナシアの沈黙がやけに胸の奥に引っかかる。 ミリィの言葉が余計だったのか、それとも――。 考えたくもない気持ちが、ほんの少し、心の片隅に残っていた。 ◇ 金庫があるという目的地に到着した頃、あたりはすでに陽が傾きかけていた。 ミリィは「よっしゃ、宝の匂いがするねぇ!」と相変わらずの陽気さで、足取りも軽い。 ルードはそんな彼女を横目で見ながら、歩調を崩すことなく進んでいた。 一方、エレナシアはルードの少し後ろをついてくるものの、やはりどこか浮かない表情をしている。 ルードが意識せずとも、彼女の気配は明らかに沈んでいた。 ――さっきのことを、まだ気にしているのか? ルードの胸に、わずかに棘が刺さったような感覚が残る。 けれど、どう言葉にすればいいのか、皆目見当がつかないまま、彼は黙って前を向いた。 「さてさて、ここらへんのはずだけど……」 ミリィが地図を取り出しながら足を止める。 目の前には、苔むした古い岩壁がそびえていた。 自然のものか、かつての人為的な建造物なのか判別がつかないほど、長い時間が経っている。 「おーおー、なかなか雰囲気あるじゃないの」 ミリィがにやりと笑いながら、岩肌を指でなぞる。 「さて、どうやって開けるかねぇ……ルード、こういうの詳しかったりする?」 「いや、俺はそういうのは専門外だ」 「えー、使えねぇ~」 ミリィが冗談めかして肩をすくめるが、ルードは無視して周囲を警戒する。 ――何か、おかしい。 確かにここは金庫のありかかもしれないが、妙な違和感がある。 普段なら、ルードはこういう直感を重視する。 そして、こういう時の違和感は大抵、最悪の事態をもたらす。 「……ミリィ」 「ん?」 「お前、これまでにこのあたりの情報は集めてたのか?」 「んー? まあ、ざっくりとはね」 「でもあんまり細かいことまでは調べてないよ。楽しいほうが優先でしょ?」 ルードは溜息をついた。 そんなことだろうと思った。 「お前な……」 と、ルードが言いかけた、その瞬間─。 「……っ! なにか来るぞ!」 彼の警戒心が的中する形で、岩壁の向こうから何かが動く音がした。 そして次の瞬間、巨大な影が地を揺るがしながら飛び出してきた。 雷鳴のような咆哮が、狭い空間に響き渡る。 目の前に現れたのは、まるで岩のような硬質な外殻を持つ巨大な魔物だった。 牙の生えた嘴の奥には、獲物を逃がさぬ鋭い眼光が光る。 「ちょ、なんでこんなのいるの!? 聞いてないってば!」 ミリィが叫びながら後退する。 「ったく……やっぱりな」 ルードは冷静に剣を構えた。 想定はしていた。だが、ここまでの代物とは思っていなかった。 ─一撃で仕留める。 獣のように唸りながら、モンスターがこちらに向かって突進してくる。 その動きは見た目に反して素早く、力強い。 だが─。 「……遅いな」 ルードはその動きを読み、刹那のタイミングで踏み込み、狙い澄ました一撃を放った。 鋭い剣閃が閃き、モンスターの首を狙う。 ─が。 「……チッ」 硬い。 刃が表面を滑るようにして弾かれ、浅い傷しかつけられなかった。 (なるほどな……簡単にはいかねぇか) 一度距離を取りながら、肩にじんと鈍い痛みが走る。 先日の傷が、まだ完治しきっていない。 相手は並のモンスターではない。 外殻が異常に硬く、普通の攻撃では致命傷を与えられない。 (じゃあ、どこを狙うべきか……) ルードは瞬時に敵の動きを観察し、分析する。 一方で─。 「ルード、後ろ!」 ミリィが叫ぶ。 モンスターが反転し、巨体を揺らしてルードに襲い掛かる。 素早く回避しようとしたその時。 ─視界の隅に、エレナシアの姿が映った。 彼女は不安そうにこちらを見ている。 ――なんでこっちを見てる? その一瞬の迷いが、わずかに反応を遅らせた。 「っ……!」 間一髪でかわしたものの、モンスターの前脚がかすめ、ルードの腕に浅い傷を与える。 「ったく……余計なことを考えてる暇はねぇな」 ルードは自身を戒めるように呟き、剣を構え直した。 「……そろそろ終わらせるか」 そして、次の瞬間─。 「きゃあっ!」 ミリィの悲鳴。 彼女が足元の岩に躓き、モンスターの正面に倒れ込んでしまう。 モンスターの牙が、彼女を狙うように開かれる。 「ミリィ、動くな!」 ルードが駆け出す──が、踏み出した瞬間、肩に鋭い痛みが走った。 ──間に合わない。 その瞬間。 エレナシアの周囲の空気が変わった。 「っ、ダメだ! 使うな!」 ルードの制止が間に合わない。 次の瞬間、目に見えない衝撃が空間を歪ませ、モンスターの巨体が吹き飛ばされた。 轟音とともに地面に叩きつけられる。 ミリィは呆然としながら、自分を庇うように立っているエレナシアを見上げた。 「……な、なに……今の……?」 エレナシアは、かすかに肩で息をしていた。 エレナシアが……力を使った。 ルードは唇を噛みしめる。 そんなはずじゃなかった。 止めるつもりだったのに―― 胸の奥に言いようのない重さが残った。 「……っ」 何も言わず、ルードは駆けた。 モンスターの死角に回り込み、呼吸を整える。 モンスターがゆっくりと立ち上がる。 ─だが、もう遅い。 「……終わりだ」 鋭い剣閃が、モンスターの喉を正確に切り裂く。 刹那、血しぶきが舞い、巨体が地面に沈んだ。 静寂が訪れる。 ルードは剣を収めると、エレナシアのほうを振り返った。 彼女は……わずかに俯きながら、ルードを見つめていた。 ミリィもまた、何かを考えるような表情でエレナシアを見つめていた。 「……ま、これでひとまず片付いたね」 ミリィが短く息をつきながら、壁際に視線を向ける。 「で、お宝は?」 ルードが周囲を見回す。 モンスターとの戦いで水路の一部が崩れ、瓦礫が散らばっていたが、その隙間から古びた金属の輝きが覗いていた。 「……あれか?」 ルードが近づき、剣の柄で瓦礫をどかす。 すると、そこには分厚い鉄製の箱が埋まっていた。 「ビンゴ♪ これが噂の隠し金庫だね」 ミリィが嬉しそうに駆け寄り、箱の表面を指でなぞる。 長年の湿気と埃にまみれた金庫は、鍵穴の部分が錆びて固まっていた。 「さて、どうする?」 ルードが鍵を探すように周囲を見回すが、それらしいものは見当たらない。 「うーん……仕方ないね。こういう時は――」 ミリィは懐から器具を取り出し、慣れた手つきで鍵穴に細い金具を差し込む。 「ちょっと待て、手慣れすぎだろ」 「何言ってるの、こういう時のために技術を磨いてるの♪」 ルードが呆れた顔で腕を組む中、ミリィは器用に鍵をこじ開けようとしていた。 カチリ。 鈍い音とともに、金庫の蓋がわずかに浮く。 「開いた!」 ミリィが勢いよく蓋を開ける。 その瞬間――。 「……は?」 ミリィの声が固まる。 ルードが覗き込むと、金庫の中には金貨や宝石ではなく、一冊の古びた帳簿のようなものが収められていた。 「……これは?」 「……ただの帳簿? いや、貴族が隠してたって話だったよね」 ミリィが不満げに紙束を手に取る。 「お宝かと思ったら、財務記録……とか?」 ルードは冷静に紙を捲る。そこには細かな数字が並び、領地ごとの収支や取引履歴らしきものが記されていた。 「……これは、ただの帳簿じゃねぇな」 エレナシアが興味深げに覗き込む。 ミリィもその様子に気づき、にやりと笑う。 「へぇ、これは……ただの紙束じゃなくて、もっと“ヤバい”代物かもね?」 「……どういうことだ」 ルードが訝しげに尋ねると、ミリィは帳簿を手に取りながら指で表紙を弾いた。 「この記録が本物なら……いろいろと価値がありそうだよ♪ ま、依頼人には関係ない話だけどね」 「さて、金庫を開ける仕事は終わったし、そろそろ戻ろっか?」 ルードは一度、エレナシアとミリィを見比べた後、静かに剣を納める。 「……ああ」