第7話 放っておけるわけがない

依頼の報酬を受け取るため、三人は酒場の奥にある小部屋へ通された。 依頼人の男は、ミリィから報告を受けると満足げに頷き、用意していた金貨の袋を3つ机に並べた。 「約束の額だ。好きに分けな」 ミリィは「おっほ!」と嬉しそうに袋を掴むと、すぐに中身を確認する。 「うんうん、ちゃんと入ってるねぇ!」 ルードも自分の分を受け取り、無言で袋を腰にしまう。 エレナシアは特に何も求めなかったが、ミリィが勝手に袋の1つを押しつけてきた。 「ほい、エレナシアちゃんもね。命を救ってもらった分のお礼だよ♡」 エレナシアは一瞬戸惑ったが、ルードが特に何も言わないのを見て、黙って受け取った。 ミリィは金貨の重みを手の中で確かめながら、満足そうに頷いた。 「さーて、久しぶりにちょっと贅沢しよっかな♪一杯飲みながら勝利の美酒ってやつ?」 そう言いながら、酒場のカウンターへ向かおうとした──が。 ミリィが、ふと振り返る。 「……でさ」 視線はエレナシアに向けられていた。 「アンタ、ホントは何者?」 ルードの表情が僅かに険しくなる。 ミリィは「ただの旅人」だなんて思っていない。 むしろ、最初からわかっていて、それを突っ込むタイミングを見計らっていたような口ぶりだった。 エレナシアは僅かに眉を動かし、筆を取る。 『……旅をしているだけ』 ミリィは紙を覗き込み、しばらく眺めたあと、ゆっくりと笑った。 「そっかぁ♪ まあ、深くは聞かないよ」 ルードは胡乱な目を向けた。 「聞かねぇのか?」 「うん? だって、知ったところでアタシには関係ないし? 」 「それに、ルードが一緒にいるってことは、“訳あり”なのは確定でしょ」 軽く肩をすくめる仕草は、まるで「わかってるけど、別にいいじゃん」と言わんばかりだった。 「それにしても、エレナシアちゃん。さっきの戦い、けっこう派手だったねぇ?」 ミリィは肘をつき、にやりと笑いながら続ける。 「アンタ、魔術師だったんだ?」 エレナシアは筆を持ったまま、何も書かずにルードの方をちらりと見た。 (……言う必要はない) ルードは目でそう伝えたつもりだった。 エレナシアは一瞬迷うように目を伏せたあと、ゆっくりと筆を走らせた。 『少しだけ』 ミリィはその言葉をじっと見つめ、次の瞬間、肩をすくめて笑った。 「そっかそっか、まぁそんなとこだよね♪」 それ以上詮索しようとはせず、ミリィはルードを肘で小突いた。 「ま、いろいろ聞きたいことはあるけど……アタシはもうちょっと飲んでくるからね♡」 軽く手を振り、ミリィはカウンターへ向かおうとする。 しかし、そこに割り込むように、酒場のマスターがすっと姿を現した。 「ミリィ、お前な……」 「ん?」 マスターは溜息をつきながら、ミリィの肩をぽんと叩く。 「お前が来ると、店の酒の減りが早すぎるんだよ。どうせまたツケで飲むんだろ?」 「えぇ~? そ、そんなことないよ?」 「お前の“そんなことない”ほど信用ならないもんはねぇんだよ」 そう言うと、マスターはミリィの腕を掴み、そのまま酒場の奥へ引きずっていく。 「あっ、ちょ、ちょっと! アタシまだ話して──うわわっ!? ルード助け──」 「知るか」 ルードは冷たく言い捨て、さっさとエレナシアの方へ向き直った。 「……宿に戻るぞ」 エレナシアはミリィのほうをちらりと見た。 助けるべきなのか、気にしなくていいのか── そんな迷いが、わずかに表情に浮かぶ。 だが、ルードはさっさと店を出て行こうとしている。 エレナシアは静かにルードの後を追った。 「……」 宿へ戻る道中、二人の間には妙な空気が漂っていた。 エレナシアはルードの少し後ろを歩いているが、視線は伏せがちで、沈黙を守ったままだった。 (……まだ気にしてんのか) 昼間のことが脳裏をよぎる。 ――「お前がどう思おうが関係ない」 咄嗟に言い放ったその言葉。 そう答えるしかなかった。 だが、エレナシアの表情を見たとき、ほんの僅かに胸がざらついたのも事実だった。 とはいえ、何をどう言えばいいのか分からない。 今さら「言い過ぎた」とでも言えば、気まずさは解消されるのか? そんなことを考えながら歩いているうちに、宿へと戻ってきた。 部屋に戻ると、エレナシアはルードを見て、何かを言いたげに筆を持った。 だが、結局何も書かず、そのまま荷物をまとめるふりをしてしまう。 ルードもまた、何も言わず剣を研ぎ始めた。 このまま黙ったままではいけないとは思う。 けれど、何を言えばいいのか分からない。 そんな気まずい沈黙がしばらく続いた後、ルードはふと立ち上がった。 「……ちょっと出てくる」 短くそう告げると、エレナシアは一瞬だけ彼を見上げたが、何も言わなかった。 ◇ エレナシアは、静かに部屋の扉を見つめていた。 ルードは、 「ちょっと出てくる」 とだけ言って、行ってしまった。 (……戻ってくる、よね) そう思った瞬間、胸の奥がざわついた。 (……大丈夫、だよね) そう自分に言い聞かせる。 だって、ルードは 「ちょっと出る」 と言っただけだ。 すぐに戻ってくるはず。 何も心配することはない。 ――そう、思っているのに。 もし、帰ってこなかったら? もし、もうここには戻らないつもりだったら? その考えが頭をよぎった瞬間、指先がわずかに震えた。 (……そんなこと、考えすぎ) わかってる。 わかってるのに、胸の奥の冷たいものが、じわりと広がる。 (ルードが、いなくなったら?) (私は……どうなるの?) ルードは、いつも当たり前のようにそばにいた。 私の言葉を聞いてくれた。 私を守ってくれた。 それが 「なくなる」 なんて、考えたこともなかった。 でも――もし、もう戻らないとしたら? (……待っていれば、大丈夫?) いや、それが一番いいのかもしれない。 落ち着いて、ただ待っていれば―― そう思ったのに、すぐに 「待つ」という選択肢が耐えられないものに思えた。 喉の奥が、じくりと痛む。 何も言えないくせに、何かを叫びたくなる。 私は、また独りになるの? ――そんなの、嫌だ。 思考が止まらなくなりそうで、息を吸った。 (……少しだけ、探してみよう) そうすれば、何か違うかもしれない。 不安も、冷たさも、消えてくれるかもしれない。 ゆっくりと、扉に手をかける。 そのまま、そっと外へ出た。 ◇ 夜の街は、昼間とは違った顔を見せていた。 昼は騒がしかった通りも、今は酒場から漏れる音と、行き交う人々のざわめきだけが響いている。 ルードは無意識に路地を歩きながら、ぼんやりと考えていた。 (……俺は、どうしたいんだ) エレナシアが何を思っているのか、分からない。 自分にとって彼女は「仕事」だったはずなのに。 「仕事ってのは……賞金稼ぎってのは、そういうもんだ。」   そう言ったときの彼女の表情が、頭から離れない。 怒ったわけでも、責めたわけでもない。静かに失望したような顔。 (……なんで) (あの顔に、こんなにも引っかかってるんだ) 自分にとってはただの依頼だったはずだ。 けれどあのとき、胸の奥に何かがざわついた。 どうでもいい相手なら、こんな気持ちにはならない。 ふと、「このまま依頼を果たさず、全部放り投げたらどうなる?」という考えが頭をかすめる。 その先に、彼女といる未来があるかもしれない――そんな馬鹿げた想像をした自分に、少しうろたえた。 依頼を果たしたときのことを考えると、喉の奥がひどく乾いた。 彼女がいなくなることを想像すると、落ち着かなかった。 理屈じゃない。 ただ、その未来を想像したら、なぜか胸がざわついた。 たとえどんな形であれ、自分の手から離れていくことが、妙に落ち着かなかった。 (……くだらねぇ) 自嘲気味に唇を歪め、宿へと戻ることにした。 扉を開けると―― 部屋の中は静まり返っていた。 「……エレナシア?」 ベッドには誰もいない。 荷物はそのまま、だが、机の上に置かれているはずの筆談用の紙と筆が消えていた。 (……持って行った?) ルードの胸に、僅かな違和感が走る。 もし急に姿を消したのなら、すべてを置き去りにしていくはずだ。 だが、筆談道具だけを持っていった―― それは、彼女が何らかの意図を持って行動している証拠かもしれない。 (どこに行った……?) 焦りが胸を締めつける。 ほんの数時間前、「俺はお前を仕事としか見てない」と言ったばかりだ。 ――もし、それを聞いて、彼女が本当にいなくなったのだとしたら? 「……クソが」 思わず舌打ちし、部屋を飛び出した。 エレナシアの姿を探して、夜の街へと駆け出していく。 ◇ ルードは夜の街を駆け抜けた。 (……あのバカ) いつもなら、どこへ行くにも一緒だった。 それが今は、探さなければならない。 胸の奥がざわつく。 街の通りを見回しながら、行き交う人々に目を走らせる。 だが、エレナシアの姿はどこにもない。 (なんで黙っていなくなる……) 腹の底が妙な苛立ちで煮えたぎる。 そんなとき、ふと目に入ったのは、暗がりの細い路地。 人気のないその場所で、男の声が聞こえた。 「……おいおい、お嬢ちゃん。こんなとこで何してんだ?」 瞬間、ルードの胸が冷たくなる。 迷わず足を向けた。 ◇ 夜の路地裏。 ひんやりとした空気の中、エレナシアは静かに壁際に立っていた。 目の前には、にやつく男が二人。 彼らの態度には緊張感などなく、まるで夜の暇つぶしを見つけたかのような気楽さがあった。 「こんな時間に女一人ってのは、ちょっと不用心じゃねえの?」 「言葉もねえみたいだしよ。迷子か?」 ひとりが顔を覗き込むようにして、手を伸ばしてくる。 エレナシアは動けなかった。 (……どうしたらいい?) 声が出せないことがこんなに無力なんて、知らなかった。 こういうとき、いつもルードが何とかしてくれてた。 でも、今は。 無意識に彼に頼ろうとしている自分がいやになった。 けれど── 「──手をどけろ」 低く鋭い声が、夜の冷気を切り裂いた。 男たちが振り向く。 そこにいたのは、ルードだった。 表情は無。 声にも感情の起伏はない。 けれど、ルードが静かに立っているだけで、空気が一変するのがわかった。 「は? なんだこのガキ──」 男が何か言いかけるが、その瞬間。 ルードは無言のまま、男の肩を押しのけた。 「っ……!」 バランスを崩し、男がよろめく。 「……誰に手ェ出してんだ」 低く、静かな声だった。 けれど、それがどれほどの圧を持っているか、エレナシアは知っていた。 男は苛立ったようにルードを睨み、口を開く。 「てめぇ……何もしてねぇだろうが」 「なら、消えろ」 そう言ったルードの目には、感情がない。 本当に、何もないような声音だった。 だからこそ、その一言はぞっとするほど冷たかった。 男たちはまだ何か言おうとしたが── ガンッ! 乾いた音が響いた。 ルードが壁際の樽を蹴り飛ばしたのだ。 「──っ!?」 男たちの表情が引きつる。 ルードは微動だにせず、ただ静かに相手を見下ろしていた。 「聞こえなかったか?」 たった一言。 だが、その言葉には、有無を言わせない力があった。 男たちは一瞬ためらったが、舌打ちをして逃げるように去っていく。 エレナシアは、何も言わずにその光景を見つめていた。 そして、静かにルードと目が合う。 彼は短く息を吐くと、エレナシアへと歩み寄り、ぽつりと呟いた。 「……バカが」 ◇ ルードは何も言わず、視線をエレナシアへ向けた。 「……バカが」 ルードは静かに言った。 エレナシアはじっとルードを見上げる。 胸の奥が締め付けられるような感情がこみ上げ、ルードはぐっと拳を握りしめた。 「……なんで」 「なんで、黙っていなくなる」 声が低く、少しだけ震えていた。 「こういうことになるって分かってたはずだろ?」 エレナシアは視線を落とし、口を引き結ぶ。 「返せる言葉もねぇのか?」 ルードが苛立ち混じりに言うと、エレナシアは静かに筆を取り、紙に文字を書いた。 『……ルードには、関係ない』 ルードの目が細まる。 「……は?」 エレナシアは続けて、迷うことなく筆を走らせる。 『私が何を思おうと関係ないって言った』 『だったら、私が何したって……どこに行ったって、関係ないはず』 ルードの中で、何かが弾けた。 「……そんなわけあるか」 低く、怒気を含んだ声だった。 「お前がどこへ行こうが俺には関係ない? ふざけんな」 思わず紙を掴み、強く握りしめる。 「勝手に消えられたら……俺が困るんだよ」 エレナシアの手が止まる。 (……俺、何言ってんだ?) 自分でもわかっていなかった。 だが、そう言わずにはいられなかった。 エレナシアは、静かに筆を取り直す。 エレナシアはじっとルードを見つめると、筆を握ったまま、迷うように指先で紙の端をなぞる。 少しして、そっと一言だけ書いた。 『それは “仕事” だから?』 ルードの眉がぴくりと動いた。 「──ちげぇよ」 反射的に否定する。 だが、エレナシアは目を伏せずにじっと見つめてくる。 「じゃあ、なんで?」とでも言うように。 言葉にしなかったが、その瞳がそう問いかけていた。 (……くそ) 否定したはいいが、じゃあなんだっていうんだ。 「……」 自分で言ったくせに、答えが出ない。 仕事じゃないなら、何なんだ? エレナシアが消えたときの、あの焦燥。 探し回ったときの、言いようのない苛立ち。 見つけたときの、安堵にも似た感情──。 (……知るかよ) 考えれば考えるほど、絡みつくような感情が邪魔をする。 「……俺は、お前がこうして消えて、どこにいるかもわからなくなるのが……」 そこで、言葉が詰まる。 胸の奥がざわつく。 これ以上続けたら、自分でも認めたくない何かに踏み込んでしまいそうだった。 エレナシアは何か言いたげに筆を動かしかけたが、結局、何も書かない。 ルードは舌打ちし、乱暴に息を吐いた。 「……もういい。戻るぞ」 腕を掴もうとした瞬間、エレナシアは手を払った。 ──拒絶。 「……」 エレナシアの目は、まっすぐだった。 強情な拒絶ではない。 ただ、言いたいことがあるのに伝えられない、そんなもどかしさが滲んでいる。 「……くそ」 そう言いながら、ルードは少しだけ頭を掻き、息を吐いた。 「わかった、掴まねぇ」 それだけ言って、ルードは伸ばした腕を引く。 エレナシアは一瞬だけ驚いたように目を瞬かせたが、すぐに小さく息を吐いた。 「だから……もう、勝手にいなくなるな」 それ以上、何も言葉は交わさなかった。 が、次の瞬間── ──ぎゅ。 袖を引かれる、小さな力。 ルードは驚いてエレナシアを見下ろす。 エレナシアはうつむいたまま、ぎゅっと彼の袖を掴んでいた。 その手が、かすかに震えている。 「……」 ルードの喉が鳴る。 何か言わなければいけない気がした。 けれど、何を言えばいいのか分からない。 エレナシアが袖を掴んだまま動かない。 ルードは小さく息を吐くと、そっとその手を外した。 ──代わりに、自分の手で包むように握る。 エレナシアが、はっと息を呑むのがわかった。 「……帰るぞ」 そう言って、ゆっくりと手を引く。 エレナシアは少し驚いたようにルードを見つめたが、やがて小さく頷いた。 繋いだ手は、そのまま。 気まずさは残っている。 けれど、指先に伝わる温もりだけが、ほんのりと甘かった。 ◇ 街の喧騒が、少しだけ遠く感じる。 ルードは無言のまま歩きながら、時折横目でエレナシアを見やる。 彼女は、そっと指を動かし、ゆるく手を握り返した。 (……) ルードの眉がわずかに動く。 (……大した意味なんてない) そう言い聞かせながらも、妙に落ち着かない。 意識しないようにすると、余計に意識してしまう。 エレナシアが、歩きながらじっとルードを見ていた。 「……なんだよ」 無理にぶっきらぼうに言う。 エレナシアは、ふっと目を細めた。 それは、言葉を持たない彼女なりの、笑みだった。 (……くそ) なんだか、負けた気がした。 「……腹、減ったな」 ぽつりと呟く。 エレナシアが、わずかに首をかしげた。 「食うなら宿でだが」 その言葉に、エレナシアは一瞬考え──小さく頷いた。 「……じゃあ、さっさと戻るぞ」 ルードは、繋いでいた手をそっと離す。 ほんの一瞬だけ、エレナシアの指が迷うように動いた気がしたが、すぐに手を引っ込めた。 (……?) (……気のせいか) そんなことを考えながら、ルードは少しだけ歩調を緩めた。 並んで歩く距離が、さっきよりも自然に感じられる。 静かに流れる時間の中で、ほんの少しだけ、ささくれ立っていた感情が和らいでいくようだった。 それがどれほど歯がゆいことか──今ほど痛感したことはなかった。